『三体』の著者、劉慈欣をして「近未来SFの頂点」と言わしめた本作。物語の舞台は近未来、中国南東部の
そんな物語を彩るのが、重金属汚染、ネオンとディスプレイの光輝、山積するゴミ、VRと電子ドラッグなどのサイバーパンク的な情景だ。これは「中国のウィリアム・ギブスン」との異名をとる陳楸帆が得意とする表現であり、頻出する迷信めいた呪術描写の存在も相まってぎらぎらと妖しい魅力を放ち、読者をまったく飽きさせない。潮州語という中国語の方言を用いた表現も本作の大きな魅力であり、同じ漢字文化を共有するこの日本では、その機微をそっくりそのまま楽しむことが出来る。もはや現実がサイバーパンクになってしまった現在にあって、なにげない街角の風景、無意識に交わされる言葉、手放すことなど出来ないデバイスなど、現実から地続きに描かれる近未来の作中世界がより生々しく感じられる。
作者陳楸帆は作中にも登場する中国広東省汕頭市の生まれ。北京大学を卒業後、中国最大の検索エンジンを運営する百度やGoogleで勤務。二〇〇〇年代は中短篇を雑誌に発表しており、一二年に発表した本作で待望の長篇デビューを果たした。それまでの短篇では独立に扱っていた、サイバーパンクと脳科学と現代中国への内省とをエンタメを介して繋ぎ合わせた、ひとつの集大成となる作品がこの『荒潮』だ。
なかでも、陳楸帆がこの長篇で意欲的に取り組んでいるのは、現代中国の直面する様々な摩擦と歪みを小説で表現することだ。
国際社会の中で存在感を増していく中国と、西洋諸国との間の文化的な摩擦。これらは現実の世界でも避けられないものであり、作中では土着的宗族制度に代表される東洋的合理性と、グローバルな多国籍企業に代表される西洋的合理性との対立という形で印象的に描かれる。ここで、どちらか一方をとって他方を批判するのではなく、両者が互いに独立した論理で成り立っていることを明示し、登場人物たち自身が物語の中で理解する過程を挟み、自分なりの答えを求めようともがく様が、実に中国SFらしい。すぐに答えが出せなくても、決して諦めず、どんな事態に対しても希望を捨てず、みずからの持てる力を尽くして立ち向かう。これこそ、かつてのSFに、そしていまの中国SFに満ち溢れている、SFのもつ根源的な魅力だ。
ゴミの山から立ち上がってくるこの物語は、まぎれもなく、新たな時代を象徴するSFにほかならない。
本稿は《SFマガジン》2020年4月号(2020.2)に掲載された書評の再録である。