第二次大戦中に米国政府の中枢で軍と科学者の間に立って強固な協力関係を築くことに尽力した工学者,ヴァネヴァー・ブッシュが終戦直後に発表した,生産された知的資源を有効活用するための提案に関する論文.生産された知的資源を電子計算機内で保管・分類・検索するメメックス(memex)という装置を提案する.知的資源の生産をもメメックス内で行うことで,学術情報の流通を円滑化させ,人類の知的活動を飛躍的に効率化できる.やがて,メメックスのような装置は脳へ直結し,人類の知的能力を拡張することすら可能であるとさえ主張する.
みすず書房から出た『世界目録をつくろうとした男』を読む前に読んでおこうと思って.ハイパーテキストの原型を論じたこの論文を,iPadで読んだのは素晴らしい経験だった.
メメックスという発想もそうだし,ハイパーテキストという実現された技術もそうだが,当初の思想がよくても,運用がまずくて理想通りにならなかったものは世に多くある.ハイパーテキストの世界観で盲点だったのは,ウェブ上の文書は容易に消えてしまうことだったと思う.セマンティックウェブにしてもそうだが,月日は百代の過客にして,しかも元の水は絶えて久しく,かえって情報は容易に失われるようになった.簡単に作成された情報であるから,消失するのも簡単である,という主張はどこか説得的でもある.
今,メメックスに求められていた機能そのものであるところの,汎用計算機に向かってこの文章を書き込んでいる.情報伝達は格段に高速化した.しかし,資料を作成する速度が向上し,クズ情報の生成速度も高速になってしまったことによって,ブッシュが想像していたような,素晴らしい情報ばかりを探索できる楽園は実現されなかったように思う.人工知能の発達はこの状況をある程度カバーしてくれるだろうが,これもやはり人工知能による生成によってすぐさま破綻することとなった.
取捨選択によって良質な情報のみを集積することが重要である.しかし,それを行うことができないこともある.全部を収集することを目的とするデータベースをもある.それにも関わらず,真に全てを集めてきてしまうことは,そこに何もないことと等価となる.
本質的に,知的情報の集積体の価値は,その検索性能によって測られる.情報を記録した文字列に価値があるのではない.自身が欲しい命題を保証してくれる情報が得られることに価値がある.
とりあえず,データベースを脳に直結するのは,早めに実現して欲しいところではある.